
ミドリは漫画家安野モヨコさんが描いたハッピーマニアの主人公『シゲタ』だと思った。
シゲタくらいぶっ飛びながら、人間ぽく悩んで、爆発してほしいと、私は思っていた
しかし、今回のミドリはどうであっただろうか…
15-1
公演「まほろば」とは。ラストシーンに向けて。
よく人から、どうやって芝居を作っているのか、演出はどうやって考えているのかと聞かれる。
これはそんなに難しくなく、大体最初の一読から決まってしまう。
例えば、
見えない何かが家を包む
戯曲「まほろば」終盤
とあったので
直感で赤い膜に包まれると思った
それは何かと言えば 血脈であるから 血の雨を降らせたい
となった
しかし、技術的に出来ないと判断し、せめてミドリだけでも赤い雨を降らせようと思った。
それが結果としてミドリの股の間から赤い液体がだらだらと流れ落ちるように見えた。
この姿は大分女性的で嫌だな。
と最初は考えたが。
見栄えが面白かったので今回はそれを良しとした。
という感じだ。
私は稽古期間中ほとんどの時間、予算や空間、俳優の力量を考えて、どこまで実現可能なのか、具体的にどうやったら出来るのか。と工作みたいなことを考えている。
自分勝手な事を言うが、作り上げる工作作業の時間は正直楽しくない。
女性の生理は、一回140mlの血液が出る。さらさらした時もあるし、どろどろとアメーバのような塊になって垂れてくる時もある。メンタルや体調によって血の具合が変わってくる。それを毎月何十年も繰り返す。
極めつけは出産時に、子宮の中でト月十日ため込んで作り上げた生命体と一緒に500~1000mlの血液がドカンと放出される。ちなみに私の時は3000mlの血液と3000gの子供が一機に流れ出て、死ぬ思いをした。
「女は血を流しながら生きている」なんてうまい事言うよ。
話がずれてしまったが私は男女関係なく、
「人は血を流しながら生きている」
と思う。そしてその血の繋がりは切っても切れない糸なのだ。
ある時は家族という血脈の糸、人と人を繋ぐ世間の糸、自分自身で作り出してしまった縛りの糸に絡み絡められ、苦しく藻掻く。
こすれ合って摩擦された糸からは赤い鮮血が一滴一滴、頭上からゆっくり滴り再び自分自身の中に孕んでいく。
―――全身を包む熱い血潮を感じた事はないだろうか。
ミドリ なんでこんなに汚れてんだ?…ん?…
「まほろば」戯曲
ある時、ミドリ役の萌さんが質問してきたので答えた。
「小菅さん。ミドリの手は汚しますか?」
「何色だと思う?そもそもその手が本当は何色かなんて、わからないじゃん。本当に汚れているのかわからないし、みどりが勝手に言っているだけかもしれない。これは芝居が最後まで出来ないと解らないよ」
な様な事を私は伝えた記憶がある。
私には鮮血で染まるミドリの姿が観えていたけれど
萌さんがミドリとしてどうなっていくのかを見守りたかった。それによって
最後の演出は変わるのではないかと思い、ギリギリまで演出を付けなかった。
私の理想とするシゲタ像と萌さんが作るミドリは、なんだかズレてきそうだと感じたのだ。

#舞台
#演劇
#役者
#衣装
#舞台美術
#ドラマシアター
#dramatheatre
#小菅かおり
#演出
#コラム
#column
#エッセイ
#essay
#actor
#写真
#photo